うちの子に初めて買った服が、

売上の一部が盲導犬の育成に寄付されるというものでした。
盲導犬についてはこれまでに、町中で数回見かけたことはあったのですが、
えらい子だなー
と思うくらいで、特に気にすることはありませんでした。
たまたま、この服を買ったことをきっかけに、
そういえば、盲導犬ってどのようなものなんだろう
と思い、ネットで調べてみました。
すると、
盲導犬推進派と盲導犬廃止派の対立する意見
がたくさん出ていました。
中には、
テレビでよく目にする著名人の盲導犬は動物虐待だとする意見も出ていました。
盲導犬廃止派の方々の意見を拝見させていただいたり、後ほど紹介しますが、盲導犬アトムの出来事の記事を見て、廃止派の考え方も一理あると思いました。
その後、自分なりにいろいろと考えさせられましたが、今の私は言ってみれば「盲導犬感謝派」です。
皆さんは盲導犬制度に賛成ですか?反対ですか?
賛成も反対もあっていい
盲導犬は犬生のほとんどを盲導犬として過ごします。
犬の一生を左右し、視覚障害を抱えた方の人生にも関わってくることですので、慎重に議論すべき問題だと思います。
賛成と反対、両方の意見があるからこそ、多角的に議論が交わされ、より良い形になると思います。
大事なことは、感情的にならずに、それぞれの論拠を検討してみることだと思います。
盲導犬に関する騒動
盲導犬が議論される際に、よく俎上に上がるのが、この二つの話です。
盲導犬アトムの行方不明事案
2012年1月に長崎県内のユーザーの元から、盲導犬アトムが夜間に突如として行方不明になった事案です。
行方不明になる前から、ユーザーからの虐待について、住民からの通報がアトムを派遣した九州盲導犬協会へ寄せられていました。
アトムの歩きながらの失禁写真がネットにアップされ、ユーザーやアトムを所有する九州盲導犬協会へ批判が巻き起こります。
九州盲導犬協会がアトムをユーザーから引き取ろうとした直前に行方不明になりました。
実際にユーザーから虐待があったかどうかは分かりませんが、犬がドアノブを開けて外に出ることは不可能でしょうし、不可解な出来事です。
残念ながら現在まで行方は分かっていません。
オスカー刺傷事案
2014年に埼玉県内で、盲導犬オスカーがユーザーと出勤中に背中をフォークのようなもので刺されたとされた事案。
この事案の報道を受けて、「盲導犬は自分に加害されても吠えないように訓練されている」などの話が広まりました。
現在まで犯人は見つかっていませんが、この背中の傷は、そもそも皮膚炎の可能性があったことを当時診察した医師も語っており、真実は不明です。
盲導犬は虐待なのか
盲導犬にさせることは虐待にあたるのかというのは、感情だけで決めてしまってはいけない問題です。
そもそも、動物虐待はどのようなことを言うのでしょうか?
まず、その定義からしっかりと確認して、現在の盲導犬制度が虐待にあたるかどうかを客観的に判断したいと思います。
動物虐待の定義
動物虐待の定義を見てみると、
動物虐待とは、動物を不必要に苦しめる行為のことをいい、正当な理由なく動物を殺したり傷つけたりする積極的な行為だけでなく、必要な世話を怠ったりケガや病気の治療をせずに放置したり、充分な餌や水を与えないなど、いわゆるネグレクトと呼ばれる行為も含まれます。
出典:環境省サイトから引用
なお、食用にしたり、治る見込みのない病気やけがで動物がひどく苦しんでいるときなど、正当な理由で動物を殺すことは虐待ではありませんが、その場合でもできる限り苦痛を与えない方法をとらなければなりません。
このよう定義されています。
要するに「不必要に苦しめてはいけない」ということですね。
必要なら苦しめても良いのか?
人間が生きていく上では、他の動物に危害を加えていることは仕方のないことです。
肉食はしないという人でも、人間である限りは、他の動物の生活を妨害して生きています。
ですから、動物虐待について、「必要な場合に」は除外しているのでしょう。
私も必要な苦痛については、
「残酷だけれど人間が生きていく上で仕方のないこと」
と思っています。
この点に関しても、盲導犬反対派の著名人の方は、感情的に盲導犬が虐待だと言っているわけではありません。
盲導犬は、
「本来のネイチャー通り自由に飛び跳ねることも出来ず、はしゃぎ遊ぶことも出来ず、吠えることも出来ず、ただ黙々と目の不自由な方に仕えるのみで、それは一種の虐待だ。白杖を進化させるなどの方法で代替が可能ではないか。」
と述べています。
本当に代替えが可能なら、先ほどの定義からしても、不必要な苦痛として虐待に該当する余地も十分にあります。
ロボットは犬に代われない
犬を飼ったことがある人なら、絶対に分かることですが、犬には人を癒してくれる不思議な能力があります。
犬といると本当に幸せを感じます。
それは、たぶん、犬は飼い主に向けて偽りのない愛情をもって接してくれるからだと思います。
そのことによって、飼い主も「幸せ」を感じるのではないでしょうか。
もちろん、視覚障害のある方にとっても犬は最良のパートナーになってくれるでしょう。
よって、盲導犬は単なる道案内をしてくれることだけが、盲導犬の役割ではなく、障害を抱えた方も犬と一緒に生活することによって、幸せや安心を感じることもあるのではないかと思います。
これは命を持たない、温もりがないロボットではできないことです。
犬の幸せって何だろう
犬が私たち飼主に与えてくれる幸せはいっぱいあります。
では、犬の幸せって何なのでしょうか?
犬ではないので、正直分かりません。
それでも、不妊手術を受けさせたり、犬をしつけたりして、ある意味の苦痛を犬に与えて、犬から幸せをもらっている分、愛犬には少しでも長生きして、幸せになって欲しいと願っています。
犬に幸せを与えてもらっていることを自覚して、家族になってくれた犬に感謝して生活することが犬にとっての幸せだと信じています。
そう考えると、盲導犬とまさに24時間一緒に生活している飼い主さんは、より一層愛犬に感謝し、犬も飼主とずっと一緒にいることによってより幸福を感じているかもしれません。
先ほどのアトムの事案等を見ると胸が痛みますが、虐待が事実だとすれば、許されないのは、虐待する飼い主であって、盲導犬制度が虐待につながるわけではありません。
盲導犬は虐待ではない
このように考えると、私は盲導犬は動物虐待には当たらないと思います。
少なくとも現在、盲導犬にに代わるものはありません。
よって、盲導犬の仕事を遂行する上で、ある程度の苦痛があったとしても、それは少なくても不必要な苦痛とは言えません。
私も、愛犬に不妊手術を受けさせましたし、家族が不在の時はケージに入れています。人間なら大変な人権蹂躙行為を強いているわけです。
盲導犬に感謝したい
盲導犬が視覚障害者のために働いてくれることに改めて感謝したいと思います。
ネットを見ていたら、盲導犬を繁殖後に引き取って1歳になるまで家庭で育てるパピーウォーカーのほかに、引退後に引き取るボランティアも募集されていることが分かりました。
今の愛犬とお別れする日が来たら、ぜひ引退犬を引き取って、それまでの労をねぎらってやりたいと思っています。
まとめ
ちょっと長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は盲導犬について個人的な意見を述べさせていただきました。
盲導犬には感謝しかない。
というのが私の結論です。
皆様のご意見も聞かせていただけたら幸いです。
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